平成13年度浄土宗総合学術大会(2001.9.11)第4部会

インターネットによる布教の可能性

浄土宗総合研究所 専任研究員 今岡達雄

 インターネットをはじめとするIT(インフォメーション・テクノロジー:情報技術)の急速な革新と普及は社会・経済の仕組みに大きな変化をもたらしている。宗教界も例外ではなく寺院でのパソコンやインターネットの利用が急速に拡大している。電子過去帳は紙に墨という媒体から電子的な情報媒体に置き換えることによって寺務の革新を計るものであるが、媒体の置き換えは宗教活動の根幹をなす布教活動にも大きな変化をもたらす可能性がある。  本論はインターネットという情報通信媒体の特性の分析、および寺院・教師が行っている布教活動の情報的特性の分析を行い、インターネットという情報通信媒体を通した布教活動の可能性について考察を行ったものである。

1.インターネットの普及進展

  通信プロトコルTCP/IPを用いて全世界のネットワークを相互に接続した巨大なコンピュータネットワーク。1990年代中頃から次第に商用利用されるようになり、現在のインターネットになった。学術ネットワークの頃は主に電子メールやネットニューズが利用されていたが、一九九四年にハイパーリンク機能を備えたマルチメディアドキュメントシステムであるWWWが登場すると、ビジネスでの利用や家庭からの利用が爆発的に増大し、世界規模の情報通信基盤としての地位を得るに至っている。2001年1月現在でネットワークに接続されているホストコンピュータ(サーバー)は全世界で1億1千万台と推計されている(インターネット・ソフトウェア・コンソーシアム推計:http://www.isc.org/ISC/)。  

 2001年2月末の日本国内のインターネット接続可能な人口は、「インターネット白書2001」インターネット協会監修、平成十三年六月、株式会社インプレスによれば、3263万6千人で人口比25.7%、世帯普及率は46.5%となっている。2000年2月と比べると1325万9千人が新たにインターネットを利用し始めたことになる。また、サーバースペース・ジャパン(東京都千代田区)のインターネット利用者の利用状況調査によれば、2000年12月におけるインターネット利用者の男女比率は男性45.7%に対して女性54.3%、年齢構成では20歳未満3.6%、20歳代31.8%、30歳代38.8%、40歳代19.6%、50歳以上6.2%となっており、40歳代以上で約四分の一を占めており今や若者達の情報媒体とはいえないぐらい多くの階層の人々が利用している。

 最新のネットレイティングス株式会社(東京都港区:http://www.netratings.co.jp/)2001年7月調査では、家庭からインターネットに接続可能な人口は4665万人で人口当たり普及率36.9%であり、5ヶ月間の差はあるが先のインターネット協会の調査結果より大きな数値である。ネットレイティング社は各国で同様な調査を行っている。2001年7月調査ではインターネット先進国米国の人口当たり普及率60.1%、英国では人口当たり普及率40.1%、東アジアでは台湾で52.2%、シンガポール50.5%等であり、わが国の人口当たり普及率も50〜60%、世帯当たりではほぼ100%の普及になると予測される。

2.インターネットの機能

 インターネット・アプリケーションの代表はWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)である。1998年頃からWWWに機能拡大が計られるようになった。機能拡大の方向は二つ、第一は情報種別の拡大でありテキスト、静止画に加えて音声、動画などが利用できるようになってきた。これによってインタラクティブに音楽や動画を配信出来るようになってきた。第二の方向はWWW内にコンピュータプログラムを組み込むことが可能になったことである。方法としてブラウザ内でプログラムを実行するタイプと、サーバー側でプログラムを実行するタイプがある。とくにサーバー側でプログラムを実行するタイプでは様々な機能を付加することが可能であり、掲示板、チャットのようなものからe−ラーニングまで可能になっている。

  現在、インターネット利用者の大部分は伝送速度64kbps以下の低速伝送路(アナログ電話、ISDN等)を利用している。WWWでの機能拡大が行われても、利用者サイドが低速伝送路では動画像を快適に受け取ることは出来ない。現在、ブロードバンドと呼ばれる伝送速度1Mbps以上の伝送路(CATV、DSL、FTTH等)急速に拡大しており、5年もすれば現在TV放送で行われている画質・音質の動画像を自由に発信することが可能になろう。また、掲示板・チャットのようなインタラクティブ対話メディアは現状は文章中心であるが、動画やCGを組み込んだ画像付インタラクティブ対話メディアが可能になる。つまり、CGで表現された占い師があたかも本物の占い師のように人生相談を受けたり、回答したり、命令したりすることが可能になると云うことである。学習者の理解段階に合わせてカリキュラムを提供する形式の教育ソフトウェアであるe−ラーニングも急速に進歩している。

  電子メールでは発信者と受信者が一対一でメールを送受するのが基本的な機能であった。しかし、同一内容のメールを複数の相手にまとめて発信するのは比較的簡単なことであり、この機能を生かして定期的に文書を送付するのがメールマガジンである。従来、電子メールで取り扱える情報はテキスト(文字列)に限られていたが、最近はHTML文書を取り扱えるようになり、文章のみならず、静止画、動画、音声等も送り届けることが可能になっている。教宣内容を動画・音声等を駆使したコンテンツとして作成し、習熟度合いに合わせて、ほとんど送付費用を掛けずに何千万人の人々に送り届けることが可能であり、情報伝達の方法としては全く画期的な方法である。

3.インターネットの特性

 田村貴紀は報告書「宗教関連ホームページ(ウェッブ・サイト)主催者へのアンケート調査結果報告」(1997年「宗教と社会」学会)の中でインターネット上の宗教行為の可能性を分析し3点の問題点を指摘している。
@言葉による宗教性であり、宗教性を文字で表現する限界を問うている。
A聖地へのアクセス可能性であり、インターネット上で墓参りや聖地巡礼が可能かを問うている。
Bオンラインカウンセリングとは、インターネットを経由して個別的な宗教相談に対応することである。

 土佐昌樹は著書「インターネットと宗教」の中でインターネットの特徴として7つのキーワードを提出している。@高速性、A雑居性、B匿名性、Cイメージ中心、D流動性、Eマイノリティ、F関係性である。このようなインターネットの特性は既存の社会秩序からはみ出ているカルト集団やインターネット上にしか存在しないサイバー宗教にとって大変居心地のよい環境を提供していると指摘している。田村、土佐の指摘するインターネットと宗教の詳しい内容に関して筆者が1999年9月に浄土宗教学院で行った講演資料に詳述しているので参照されたい。

 生駒孝彰は著書「インターネットの中の神々」の中でデンバー神学大学ダグラス・グルータイス著の『サイバースペースの魂』を引用し、インターネットの特性を述べている。
@インターネットの情報は素早く多くの人々に提供できるが(高速性)、直接的な人的交流によって交換される信頼感とか仲間意識は伝えられない(共感性の欠如)。この主張に対し生駒は、この主張は正しいが地域的に離散せざるを得ない環境にある、世界中に拡散した信者間の人間関係を回復する手段にもなるとしている(離散・拡散の再統合)。
A新しい情報を提供するのはよいことだが、人間は次第に直接的、表面的、刺激的なものを求めるようになる(欲望刺激的)。
B宗派の基本的な教義や方針が勝手に解釈される恐れがある(非権威性)。しかもそれがあたかも真実であるかのような印象を与える可能性がある。これらの主張に対し生駒も同意見としている。
C宗教では霊的体験が重要だがインターネットではそれを望むのは無理である(霊性の欠如)。この主張に対し生駒は、この考え方は必ずしも正しいとは言い難い。インターネットの聖書の言葉であっても、聖霊の導きを感じる人がいるのに違いない。いや、むしろ若い世代の者にとっては書物としての聖書よりもインターネットで読む聖書の方が霊的になるのではなかろうか。
Dインターネットは宗教の情報が簡単に得られるものの、同時にポルノや怪しげな宗教情報も得られる(雑居性)。この主張に対し生駒は、このことは、日本の週刊誌とよく似ている。一部の週刊誌は、政治、経済、文化等々の情報が得られるが同時に怪しげな写真や情報も入っている。しばしば外国人から指摘されるが、販売実績から見れば日本では受け入れられている。

 田村、土佐、生駒が指摘しているのは情報伝達媒体としてのインターネットの特徴であり、宗教行為から見ると社会構造の現代化によって離散・拡散を余儀なくされた人々の再統合の手段としての有効性、既成宗教教団も新々宗教も同等に扱われる非権威性その裏返し効果である匿名性に特徴があるとしているが、霊性・聖地性など従来の宗教が持っていた感覚性あるいは直接的な接触によって得られていた信頼感などの共感性に弱点があると指摘している。

3.浄土宗の布教方法とインターネット布教

 浄土宗の布教方法から布教にとって必要な条件を分析した。『佛教新布教大系−一般教化法』中野隆元、昭和7年3月、佛教新布教大系刊行会、38頁には次のように述べられている。「古くより浄土宗の布教教化法は身口意の三業一致の教化と言われている。身業とは布教者の身体を通じての感化即ち行為に顕れる一切を示している。口業とは布教者の口舌を通じて表現せられ、伝達せられる布教であって発表の言語そのものである。意業とは布教者の思想・精神を指すものであって、凡そ布教せんとする意志を云う。」としている。また、『伝道』恵谷隆戒、昭和43年5月、浄土宗、83頁には伝道の方法について次のように述べられている。「次に伝道の方法の問題であるが、これについて、古来より種々の方法が行われている。それは前述の如く身口意三業の教化活動が仏教本来の姿である以上、三業を通じて伝道されなければならぬからである。しかしそうした種々の伝道方法があるにしても、一番重要性を持っているものは、口業説法、即ち弁論による伝道であろう。これにつぐものが文書伝道・視聴覚伝道・儀式伝道・事業伝道などであり、最近においてはカウンセリング伝道も重要性をもってくることになった。」と述べている。

 布教とは情報の伝達である。伝達すべき情報の内容は「念仏」であり、情報伝達の目的は「念仏の弘通」である。そして、念仏弘通の方法論として身口意三業教化・伝道・説法が重要と指摘されている。この身口意三業教化・伝道を情報の伝達という観点から新たな意味付けを行ってみた。

 身業説法とは「場の持っている情報」の伝達である。狭くは伝道布教者の身体・態度から発せられる情報であり「光顔魏々として身相光明、八十種好を具足して端麗円満なる・・・」と表現されるような情報である。拡大的に解釈すれば、寺院の大伽藍の暗くてひんやりとした雰囲気、静寂な山中の雰囲気、香の薫り、伝統的な儀式のもたらす厳粛な雰囲気、声明のもたらす幽幻な雰囲気、大きな仏像の圧倒的なイメージ、墓石・墓所の特別な場所としての雰囲気、これらは皆「場の(持っている)情報」である。多くの宗教はこの「場の情報」を巧みに使って伝道・布教を行ってきた。場所、伽藍、仏像、仏画、袈裟、香、声、音(楽器)等の現物による情報伝達の外に、情報によっては録音メディア、静止画・動画記録メディア、印刷メディアを利用した複写再生情報による伝達も可能である。

 口業説法とは「言語化された情報」である。古くから弁論伝道と呼ばれてきた「言葉」による情報伝達である。教典・各種典籍は言語化されたもので情報伝達を行うことも目的にしたものである。また、前述したように弁論伝道が最も重要な布教伝道方法として位置付けられてきた。三周説法という精緻な説法様式が伝えられている。

 意業説法についてその定義を見ると、意業説法・教化とは信仰に対する深い確信、それを実現する慈悲心としての意思力と要約されよう。しかし、この解釈は伝える側のあり方を述べたもので、情報伝達方法の分析としてはいささか内容が不明確である。教化・伝道の対象者に信仰に対する深い確信や伝道の意志力を伝えるために「場の情報」を利用するのが身業説法、「言語化された情報」で伝えるのが口業説法である。では、意業説法とは何を利用して信仰の確信や意志力を伝えるのであろうか。そのキーワードは前文中にも見られた「同情」であろう。言い換えると「共感」である。教化・伝道者の熱意に共感してもらうことである。また、これは一方通行ではなく悩める者への共感でもある。悩める者の煩悶を共感し、伝える者の熱意を共感してもらう。これが意業説法であろう。

 田村が宗教関連ホームページ主催者へのアンケート調査結果報告で指摘していたことは、言葉による宗教性、聖地へのアクセス可能性、オンラインカウンセリングであった。これは「言語化された情報」による布教(口業説法)、「場の持つ情報」による布教(身業説法)、「情報の共感」による布教(意業説法)を示唆したものであった。身口意、三業説法をインターネット上で実現できるか否か、これがインターネットによる布教の可能性を示している。

参考文献

(1)「宗教関連ホームページ主催者へのアンケート調査結果報告」田村貴紀、1997年、宗教と社会学会
(2)「インターネットと宗教」土佐昌樹、1998年11月、岩波書店
(3)「インターネットと宗教」今岡達雄、1999年9月、浄土宗教学院講演資料
(4)「インターネットの中の神々」生駒孝彰、1999年10月、平凡社
(5)「電子ネットワーキングの普及と宗教の変容」黒崎浩行編著、2000年3月、國學院大學日本文化研究所
(6)「インターネット時代の宗教」国際宗教研究所編、2000年6月、新書館
(7)「佛教新布教大系|一般教化法|」中野隆元、1932年2月、佛教新布教大系刊行会
(8)「伝道」恵谷隆戒、1968年5月、浄土宗

 
     
 
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