仏説阿弥陀経 〜 極楽の荘厳と諸仏のあかし

『阿弥陀経』は、「浄土三部経」と呼ばれる浄土宗の大切なお経の、ひとつです。三部経の中ではいちばん短いので、『小経』とも呼ばれています。『無量寿経』、『観無量寿経』のまとめともいえるお経です。

(一) お釈迦さまの自説

 お釈迦さまは、舎衛国の祇樹給孤独園に、弟子達、菩薩達、天人達とともにいました。お釈迦さまは、誰に問われるでもなく自ら、弟子の舎利弗(しゃりほつ)に説きはじめました。

「西方の十万億の仏土を過ぎたところに極楽と阿弥陀仏があります。極楽と呼ばれるのは、その国の衆生に諸々の苦がなく、楽のみを受けるためです」

(二) 極楽の功徳荘厳

「極楽には、四宝で覆われ、七重の欄楯・羅網で飾られた、七重の行樹があります。
「また、七宝の池があり、中には八功徳水、底には金沙、四辺には四宝の階道、上には七宝の楼閣、表面には四色の蓮華があります。
「また、天に音楽、地に黄金、その間を華の雨が降り、衆生は朝には諸仏に華を供養し、昼は還って飲食・散歩します。
「また、阿弥陀仏の声が雑色の鳥々となって法を演べ、そよ風が行樹・羅網を吹き鳴らし、衆生はこれらの音を聞いて仏法僧を想います。
「阿弥陀という名は、光明・寿命が無量だからです。また、無量の上座部・大乗の徒がいます。

「極楽にはこのような功徳荘厳が成就されているのです」

(三) 発願と念仏

「極楽に集う人々はみな、悟りに向かって後戻りすることのない聖者です。その中には、悟りの一歩前まですでに到達してしまった聖人も多くいます。これらの人並みならぬ聖者たちと倶に一処に集い、極楽のすばらしい共同体に仲間入りしたいと思いませんか。さあ、極楽に生まれたいと発願するのです。

「ところが、凡夫の自力で積めるような少しばかりの善根福徳をもって、極楽に生まれることはできません。

「在家の男女であるならば、阿弥陀仏の本願の話を聞いて信心をおこし、一日でも七日でも、一心不乱にその名号を念じ続けなさい。念仏の大いなる善根福徳によって、その人の臨終には阿弥陀仏と極楽の聖者達が現れ、乱れる心をしずめ、そのまま安らかに極楽に往き生まれます。これを聞く者よ、この利益があるから私は説いているのです。さあ、極楽に生まれようと発願するのです」

(四) 諸仏のあかし

「私は阿弥陀仏の功徳を讃歎しています。
「同じく、東方では阿しゅく仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏など、
「南方では日月灯仏・名聞光仏・大焔肩仏・須弥灯仏・無量精進仏など、
「西方では無量寿仏・無量相仏・無量幢仏・大光仏・大明仏・宝相仏・浄光仏など、
「北方では焔肩仏・最勝音仏・難沮仏・日生仏・網明仏など、
「下方では師子仏・名聞仏・名光仏・達摩仏・法幢仏・持法仏など、
「上方では梵音仏・宿王仏・香上仏・香光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・娑羅樹王仏・宝華徳仏・見一切義仏・如須弥山仏など、

「そのほか砂の数ほど無数の仏が、大きな舌を伸べて三千世界に向かって、この真実のことばを説いています。だから衆生よ、一切諸仏がこの功徳を称讃し、一切諸仏がこの経を護念する、この経を信じなさい」

(五) 稀有なる利益

「在家の男女がこの仏名・経名を聞けば、一切諸仏に護念されて不退転となるのですから、この経を信じなさい。
「また極楽に生れようとすでに発願した者、いま発願する者、これから発願する者は、みな不退転となり、極楽にすでに生まれ、いま生まれ、これから生まれるのですから、これを信ずる在家の男女は、極楽に生まれようと発願しなさい。
「諸仏も称讃しているように、私は五濁悪世でさとりを得てこの難信の法を説いたが、これは大変稀有なことなのです」

 そのとき、舎利弗はじめ大比丘衆、一切世間、天、人、阿修羅たちは、釈尊の教えを聞いて歓喜し心におさめ、礼して去っていった。

 阿弥陀経はこれで終わります。